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2011/08/02

4. 2011.7.9 亘理町〜オカちんとの出会い〜


地元のやきとり屋 えびす 勤務のオカちんこと片岡さんに案内を頂きながら、亘理町にて「始まりの写真」撮影を行いました。オカちんの近所の方々、同級生の方々、ボランティア活動をされる方々に声を掛けながら撮影をして参りました。

オカちんの2階建ての自宅の一階部分も津波の被害を受け、震災後避難所生活を経て、現在は、仮設住宅で生活をしています。
震災当日、避難のため自家用車で避難所の小学校に辿り着きました。
逃げようとした時には、道が渋滞してしまい、急遽進路を変更して辿り着いたのが自宅からほど近いこの小学校でした。「あのまま、渋滞にハマっていたら、流されていたかもしれない」とオカちんは言います。
オカちんの母校でもあるこの小学校の時計は、津波の到達時刻3時21分を指して止まったままです。津波の到達前に避難所に辿り着いた彼は、この小学校の2階の窓から、校庭に駐車した自分の車が津波に流されるのを見たと言います。津波が退いた後の校庭は、大量の海の砂が堆積しました。鉄棒の高さも低くなってしまったことからも伺い知れます。(写真)

海水浴場と公園のあった場所に足を運べば、津波の力が如何に大きなものであったかが見て取れます。なぎ倒された堤防、陥没した道、駐車場のアスファルトは剥ぎ取られ、遊具の残骸、円形の土台だけ残されたバーベキュー施設は、まるで古代遺跡の様でもあります。

「自分の育った町がこんな姿になってしまって、どんな気分?」
と私のぶしつけな質問に、
「4ヶ月経った今でも、信じられない感じですよ。でも、いつかはきっと元通りにしたいと思います。」と笑顔で答えてくれたオカちんでした。

これから、リフォーム工事に入るという両親の住む実家の一階部分のサッシに貼られたボードには、お世話になったボランティアさんに宛てて大きくメッセージが書かれていました。

「ありがとう。皆様のおかげでここまできれいになりました!!必ず戻ってくるからネ」

もし、亘理町に行かれる機会がありましたら、オカちんの働くやきとり屋 えびすに行ってみて下さい。震災のリアルなお話、復興を担う若い力の意見、楽しいお話が伺えるかもしれません。

*オカちんが働くお店
やきとり屋 えびす 
宮城県亘理郡亘理町逢隈牛袋字谷地添え1-3
0223-34-3965




























亘理町の滞在時間は短いながらも、オカちんとの出会いから、さまざまなことを伺い知ることができました。

写真にはありませんが、仮設住宅内の備え付け家電製品は赤十字社からの義援金によって新品が各家庭に配られているということ。(仮設住宅退去後も家電製品はそのまま、継続して所有出来るとのこと)地区によって様々だとは聞きますが、以外と仮設住宅も快適だということ。(もちろん、住み慣れた家にはかなわないはずですが)当然、住宅の家賃は無料ですが、光熱費は実費支払わなくてはならないということ。

(この光熱費を自腹で支払うことについては、仮設住宅生活者の負担を増やす要因になっています。わたしは、この話を聞いた時、おかしなシステムだな、と感じたと同時に、どこか姉妹都市のような関係で全国の各市町村がそれぞれの光熱費をシェアするような仕組みがあればいいのに、と感じました。「節電」も大切ですが、被災地では、「光熱費」も必要ということを忘れてはいけない、と。)

被災者を巡る問題はまだまだ多々あり、お話を伺った被災地の方々の多くは、政治の問題、マスコミの問題、など批判的な意見を露にする方々も多くいらっしゃいます。

被災地の方々、ボランティアの方々の努力を100%に近い状態で理解してもらえる力添えとなれるよう、私も写真と言葉とで発信していく必要性を感じました。


 「始まりの写真」プロジェクトでは、インターネット上に写真を保存することによって、
いつでも皆様の写真を取り出せるという状態を目指して参ります。
不都合のある方は、お申し出下さい。


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